空海、最澄も登った霊場(第八番 霊山寺)

参拝日 2017.4.22

『概略』

飛来山 霊山寺りょうぜんじ) 天台宗

大分大分市大字岡川855(地図

御本尊 十一面観世音菩薩
ご真言 おん ろけい じんばら きりく そわか(おん まか きゃろにきゃ そわか)

豊かな自然に囲まれた霊山(600メートル)山麓の登山口から舗装された参道を登って行くと、その中腹に霊山寺があります。
寺伝よると、和銅元年(708)、山麓の稙田(わさだ)荘の豪族祐世が霊夢に導かれ山中で十一面観音菩薩像を見つけ、草庵を建てたのがはじまりです。
その後、インドの僧・那伽(なか)法師がこの山の姿がお釈迦さまが法華経や阿弥陀経を説かれたインドの霊鷲山りょうじゅせん)にそっくりなのに驚いたそうです。
霊鷲山の一角が日本に飛んで来たのではあるまいか」と、その奇しき因縁から伽藍を造営、「飛来山」の山号をつけたと伝えられています。
また、ここは古くから仏の山として知られていたようで、天台宗開祖である伝教大師最澄が遣唐使として渡航する前に登山して願文を捧げ、無事帰国後に再錫されたのを縁として、天台宗寺院となったそうです。
また弘法大師空海、慈覚大師円仁なども訪れています。
文永5年(1268)の火災で堂塔伽藍は焼失してしまいましたが、ご本尊は難をのがれ、その後大友氏の加護もあって一大祈願道場として復興しました。
しかし天正年間(1586~7)の豊薩の乱で観音堂を残すのみとなりましたが、越前より流された松平忠直(家康の孫)により、本堂、山門、鐘楼が再建されました。そのため現在でも寺紋は三つ葉葵となっています。

さて前置きが長くなりましたが、仁王門前の駐車場に車を止めてその仁王門をくぐり石段を上った左手に庫裡があり、ご本尊はそちらで安置され秘仏となっていますが、毎月旧暦の17日に御開帳されています。

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さらに登ると12枚のレリーフがはめ込まれている山門があります。

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羅生門の鬼退治や大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)退治など伝説の名場面の数々が刻まれていますが、なぜこうしたレリーフがあるのかは謎だそうです。

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山門をくぐり正面が本堂です。

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本堂内陣との欄間には鮮やかな十六羅漢様が刻まれています。
そして内陣内厨子にはお前立の十一面観音菩薩立像が安置されています。

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最後に庫裡へ戻りご住職からご朱印を授けていただき帰路につきました。

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回向文

願わくは この功徳をもって あまねく 一切に及ぼし われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを

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ご詠歌

えにしあれ わしのみやまに あとたれて
         まよいをてらす みちぞおしゆる

ご朱印

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合掌

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