FC2ブログ

水堂(みっと)さん(第三十八番 安福寺)

参拝日 2018.3.10

『概略』
  • 日輪山 安福寺 天台宗

  • 佐賀県杵島郡白石町大字堤3144(地図

  • 御本尊 阿弥陀如来

  • ご真言 おん あみりた ていせい から うん

  • 霊場御本尊 薬師如来

  • ご真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


県道268号線を登ってくると、「安福寺」の寺標があり、もうひとつ「薬師三十八番札所・水堂さん」の看板がさらに上へ登るように出ています。
少し迷ったのですが、札所の案内板の方を頼りにもう少し車を走らせました。

しばらく走らせると観音堂の広場のようなスペースにたどり着きほっと一安心です。

思いのほか広い境内は、霊場感満載です。
ちなみに奈良時代のとある日、猟師が一匹の白鹿を見つけ射止めたところ、鹿は金色の光を放ち消え失せてしまいました。
猟師は不思議なこともあるものだと思いながらその姿を消した跡を探すと今猟師が放った矢は見事に石の観音様に突き刺さっていました。
この様を見た猟師は「あぁ、殺生の恐ろしさ」とばかり今までの行いを悔い改め、名も法弓と改め、ここに安福寺を建立し念仏三昧の行者となって水堂開山の前提を作ったそうです。

そして時は進み平安時代、高倉天皇は病を召されて霊夢にて「九州肥前の日輪山中に霊水あり、それを服すれば病も平癒あらさんか」と観音様のお告げがあり、さっそくその地を治めている小松内大臣平重盛公に命じられその霊水を手に入れ服したところ、不思議なことに平癒されたという逸話が残っています。
その後天皇の勅命により七堂伽藍や六十六坊を建立し栄えたそうです。

まずは「九州四十九院薬師霊場 第三十八番札所 納経所」と記された薬師堂へ。

49y38-01.jpg

堂内に霊場ご本尊の薬師如来とご朱印もありました。

49y38-02.jpg

本来は本堂に参拝した後、本堂脇から繋がる参道より登ってくるのが正規の参拝ルートだとは思いますが、とりあえずこちらに登ってきて大正解でした。

水堂境内には薬師霊場の札所である薬師堂のほか、水堂境内の中心となるお堂の「観音堂」や「霊水堂」があります。
葦葺きの「観音堂」には本尊の聖観世音菩薩で左右に阿弥陀如来を脇侍として祀られているそうです。

49y38-03.jpg

また「霊水堂」には本草は聖観世音菩薩で両脇に三体ずつ六地蔵が安置されていて、観世音菩薩の下より霊水が出るそうです。

49y38-04.jpg

さらに境内には、平清盛の長男である重盛の塔と呼ばれている宝塔もあります。

49y38-05.jpg

そして奥まったところに土地改良事業の成就を祈願して町によって建立された合掌観音立像があり現在では農作物の豊作祈願の観音様として地元の人から親しまれているようです。

49y38-06.jpg

*******************************************************
回向文

願わくは この功徳をもって あまねく 一切に及ぼし われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを

ご朱印

49y38-00.jpg

ご詠歌

49y38-000.jpg

霊水に 身は清めつつ すがすがと
     導かれゆく 弥陀の浄土へ

*******************************************************

記事下の「コメント」をクリックしていただくと、コメントが投稿できます。よろしければご感想など聞かせていただけると嬉しいです(^^)

*******************************************************
関連記事
スポンサーサイト



テーマ: 古寺巡礼 - ジャンル: 旅行

タグ: 九州四十九院薬師霊場  遍路  ご朱印  巡礼  第三十八番  安福寺  水堂さん  天台宗 

[edit]

trackback --   Comment (0)

PAGE TOP

龍造寺氏ゆかりの寺(第四十四番 寶琳院)

参拝日 2018.2.10

『概略』
  • 恵日山 寶琳院 天台宗

  • 佐賀県佐賀市鬼丸町12-30(地図

  • 御本尊 聖観世音菩薩

  • ご真言 おん あろりきゃ そわか

  • 御本尊 薬師如来

  • ご真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


寺伝によると和銅4年(711)行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の建立とされているそうです。

戦国時代に肥前の東部(現在の佐賀県)の国人から、九州の北西部を支配する戦国大名に成長した一族だった龍造寺家の祈祷(きとう)寺として因縁浅からぬ寺院だったそうです。
ちなみにその遺領を継承したのが鍋島氏です。

その後、龍造寺家の滅亡と共に衰退し、鍋島家より扶助がありましたが、振興には程遠く寺院の維持にも事欠き、やがて明治維新となり僅かに寺院の形骸を留めるほどに荒廃してしまったようです。

再興の念に燃えていた水堂安福寺の嘉瀬慶範師が、明治27年(1894)に本堂を仮設しその後、昭和四年から慶範師の師弟嘉瀬範護師が本格的に再建に取りかかりました。
歴代の霊廟所及び石柱の山門を整備し、昭和8年に本堂が落成し、昭和12年には庫裏も完成し現在の姿となったそうです。

49y44-01.jpg

雨の中参拝にお伺いしましたが、整備された境内の中の本堂には鍵がかかり、その扉には「ご朱印は45番持光寺で」と張り紙がしてありました。
その張り紙に少々違和感を覚えたので、帰宅後調べてみるとご住職が12月18日にお亡くなりになったようで、合点がいきました。

49y44-02.jpg

安らかにお眠りくださるようお祈り申し上げます・・・合掌

*******************************************************
回向文

願わくは この功徳をもって あまねく 一切に及ぼし われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを

ご朱印

49y44-00.jpg

ご詠歌

いつくしむ 宝の琳の 声聞きて
     今日も歩まん 六波羅の道

*******************************************************

記事下の「コメント」をクリックしていただくと、コメントが投稿できます。よろしければご感想など聞かせていただけると嬉しいです(^^)

*******************************************************
関連記事

テーマ: 古寺巡礼 - ジャンル: 旅行

タグ: 九州四十九院薬師霊場  遍路  ご朱印  巡礼  第四十四番  寶琳院  天台宗  龍造寺家  水堂  安福寺 

[edit]

trackback --   Comment (0)

PAGE TOP

ご訪問者数

プロフィール

リンク

最新コメント

月別アーカイブ