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蜻蛉

いきなりですが、タイトルの漢字読めますか?

「とんぼ」と読むそうです。

福岡県東部に位置する大川市にある若波酒造さんのお酒です。福岡県産の夢一献を使用し、阿蘇白川の源流水で仕込んだ特別純米酒です。
古来より神に仕えし生き物として縁起の良い蜻蛉にあやかって名付けられたそうです。
その蜻蛉が空を自由に飛ぶような軽快なキレを感じられる食中向きの辛口純米酒でした。

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蜻蛉に併せたアテは予定通り刺身&肉豆腐etc

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タグ: 蜻蛉  日本酒  特別純米酒  精米歩合  若波  福岡県  大川市 

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西国一の修験道の霊山へ

九州西国三十三観音霊場の第一番札所への参拝のため「英彦山」に行ってきました。
札所の詳細はまた後日エントリーするとして、とりあえず概要を書いておきたいと思います。

「英彦山」は出羽の羽黒山、熊野の大峰山と並び日本三大修験道の霊場として、広く九州全域の人々の信仰を集めていました。

まずは高さ約7mの青銅製の大鳥居(国指定重要文化財)がそびえたつすぐ傍の駐車場に車を停めて、第一番札所の「霊泉寺」へお参りします。
この大鳥居は佐賀藩主鍋島勝茂公の寄進によるもので、霊元法皇の「英彦山」の立派な勅額が掲げられています。

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本来ならばここより参道を登り、英彦山神宮の奉幣殿に参拝し、登山道を下宮、中宮、上宮と辿るところではありますが、その登拝は後日頑張ることにして、今回はとりあえず奉幣殿まで頑張って上がることにしました。

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さすが江戸時代の最盛期には、俗に「彦山三千八百坊」といわれ、3,000人の衆徒と坊舎が800を数えたと言われたらしく、参道の石畳の階段脇は「坊」が軒並み建っていました。

その中の一つ「財蔵坊」 (県指定有形民俗文化財)は山伏が生活した、規模としては中位な坊舎ですが、当時のままの姿を残した唯一のものだそうです。

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現在は町立英彦山歴史民俗資料館となっているのですが、この季節は休館となっていました。
他の展示施設などもお休みしている時期で訪れる観光客も疎らな感じです。

参道のほぼ中間地点まで来て少し脇にそれると「旧亀石坊庭園」(国指定名勝)があります。
画聖雪舟が、3年間この山に留まって築いたと伝えられる日本庭園で、山林を背景にした配石、水のたたずまいが趣深く感じられます。
その場所は私有地で所有者の方のご厚意で公開されて(無料)います。感謝!!

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さて頑張って登り続け石の鳥居を過ぎると奉幣殿はもうすぐです。
英彦山神宮奉幣殿(国指定重要文化財)は、かつての英彦山霊仙寺大講堂で、英彦山修験道の中心的建造物だったそうです。
現在の建物は元和2年(1616)に当時の小倉藩主細川忠興公によって建立寄進されたもので、朱塗りの柱やこけら葺きの大屋根が常緑の杉の緑に映え、深山の雰囲気に絶妙にとけ込んでいます。

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その大屋根の全容を拝もうともう少し上の下宮まで上がり拝見しました。

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その下宮の脇にはいつの雪かはわかりませんが解けずに残っていました。

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帰りは少し「膝が笑う」のを感じながら石段・石畳でコケないように下ってきました。
その後もう一つの英彦山のシンボル的存在の神社「高住神社」に参詣しました。

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江戸時代までは豊前坊と呼ばれ、本殿は岩の中にのめり込むように建立されていてとても神秘的な雰囲気が漂う神社でした。
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タグ: 福岡県  添田町  英彦山  修験道  霊泉寺  英彦山神宮奉幣殿  豊前坊  高住神社  ご朱印 

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漆喰の街中に(第八十四番 法蔵院)

参拝日 2013.01.31

『概略』

飛形山 法蔵院

福岡県福岡市西区姪の浜6-2-35(地図

御本尊 十一面観音立像

現在もなお漆喰壁の街並みが残る旧唐津街道沿いにある法蔵院は、ご宝号の幟が無ければ通り過ぎてしまうほど街並みに溶け込んでします。

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街道に面した簡素な切妻造の山門をくぐると、京都の町屋を彷彿とさせる細長い路地のような参道があります。左手が庫裡、そして右側には水掛け地蔵尊や水子地蔵尊の小堂があり、ぼけ封じ観音などの諸仏が所狭しとコンパクトに並んでおられます。

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しかしご本堂に上がると、ご本尊の十一面観音をはじめ、大日如来、薬師如来、弘法大師、子宝子安地蔵尊や第八十二番札所である雷山から勧請した十一面観音の古仏、高野山からの十一面観音や不動尊、さらにはインドやタイから迎えられた尊像が実に荘厳に祀られていました。

法蔵院は昭和初期の二度にわたる大火の時に瑞光尼が筑後国八女の飛形山から十一面観音を勧請し、火伏せの願いを込めて火元に建立したのが始まりだそうです。
その飛形山は現在の八女郡立花町にある450m程の山で古くから修験者が籠った霊山であり、この縁起により山号を飛形山と号しました。

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さてこの法蔵院さんは我々巡拝者にとってまことにありがたい存在です。と言うのも九州各地の巡礼の開創に多大なるご尽力をなされたそうです。本当にありがとうございます(合掌)

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福岡市民憩いの山に(第八十五番 観音寺))

参拝日 2013.01.31

『概略』

愛宕山 観音寺

福岡県福岡市西区愛宕2丁目22-7(地図

御本尊 愛宕勝軍地蔵菩薩騎像

福岡市民のみならず、九州全域からそのご神徳を求め多くの参詣者で賑わう愛宕神社ですが、今回の巡拝先の観音寺の縁起を語る時、この神社の存在との関わりが深く、まず触れておかなければならないでしょう。
愛宕神社のある愛宕山はかつて鷲尾山と呼ばれていて、景行天皇・西暦72年に鷲尾神社を祀ったのが始まりです。
955年、社殿を改築した際に別当寺、東林寺を開創。その後鷲尾神社は兵火により東林寺を残して衰微したそうです。

時は流れ寛永11年(1634)に三大お家騒動で有名になった福岡藩主・黒田忠之が京都山城より愛宕権現を勧請し、愛宕権現殿や太郎坊天狗鷲尾殿を建立し、別当に圓満寺を創建しました。
そのお家騒動の折、忠之が愛宕権現に祈願し、嫌疑が晴れ改易を免れたことにより愛宕社を本殿、鷲尾社を脇とし、その際に東林寺と圓満寺を合併しました。

明治になり、愛宕・鷲尾両社を合祀した際に圓満寺は廃寺となりましたが、太郎坊天狗や忠之の妹が奉納した愛宕勝軍地蔵尊などは東林寺跡の観音堂に移され、後に愛宕山 観音寺と改称され今日に至っています。

縁起が長くなりましたが愛宕神社参詣後、石段を姪浜方面に下る中ほどに観音寺はあります。
山門をくぐると正面に入母屋造のどっしりとした本堂が迎えてくれます。

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ご本尊の愛宕勝軍地蔵は昭和60年代の本堂の火災により被災し、現在では桐箱に収められ台座の中に収められ、永久秘仏となっています。現在の尊像はその後造られたものだそうです。

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さて境内には祐徳稲荷社の他、左右に石仏が並び、山裾の喧騒と隔絶されたように静かで荘厳な空気に充ちています。

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