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琉球八社 天久宮

さてこの日の琉球八社巡りの最後は「天久宮」です。
泊の外人墓地の裏手にその社は鎮座しています。

通りに面して鳥居があり、そこが駐車場になっています。
そこには小さな御嶽があり信仰の場所となっていました。

琉球八社 天久宮 ご朱印

脇にある階段を下りると社務所、拝殿・本殿があり、その奥に権現堂がありました。
社自体は非常に質素で素朴な感じがします。

琉球八社 天久宮

さらに階段を下りると御嶽があり、泊龍宮神(弁天負泰彦大神)が祀られています。

琉球八社 天久宮

他に見られない様な形式を感じられましたが、沖縄県神社庁のHPによる由緒には以下のように説明されていました。
「昔、銘苅村に銘苅の翁子という者がいました。
ある時、夕暮れの頃、天久野に威儀を正した法師を従えた気高い女人が山上より下って来るのに出会いました。
中腹には小洞窟があり、そこには井戸があり、水が湧き出て流れていました。
翁子が法師に女人が何者かを尋ねると、法師は、自分は山の中腹に住んでいて、女人は山上の森に住む者で名乗るほどのものではないと答えました。
翁子は不思議に思い気をつけていると、ある時、女人が洞窟に入る時に、中途で消えてしまうのを見ました。
翁子は驚き、事の次第を王の臣下に伝えました。
伝え聞いた時の王はその虚実を確かめようと役人に命じて洞窟に向かって香を供えたところ、それが自然に燃え出しました。
そこで洞窟の外に社殿を造営して祀ることにしました。
その時に神託あり、『我は熊野権現なり。衆生の利益の為に現れたり。かの女人は国家の守護神なり。弁財天である。衆生は神変の加護によりて妄念を解くことができよう』と。
昭和19年の空襲により社殿は焼失しましたが、戦後、御嶽形式により奉祀されています。
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琉球八社 安里八幡宮

末吉宮に続いて、ご朱印を授かりながら参拝を済ませていない琉球八社のひとつ「安里八幡宮」に向かいました。

琉球八社 安里八幡宮 ご朱印

開発著しい那覇の新都心地区に程近いところにあります。

ここは琉球八社の中で唯一熊野権現ではない神様が祀られています。

安里八幡宮の沿革を書いておきたいと思います。

琉球八社 安里八幡宮

第一尚氏第七代尚徳王により、1466年(明成化2年、文正元年)に創建されました。
『尚徳王は、武勇に勝れた英明な王で、先王、尚泰久の遺志をついで鬼界が島遠征のため、二千余の軍勢を率いて安里を通りかかったとき、鳥が鳴き飛び立つのをみて、たちまち弓を取り、乙矢(おとや)は地に立て、甲矢(はや)を弓につがい、天を仰ぎ、「一矢で飛ぶ鳥を射落としたら鬼界が島の平定をかなえさせ給え」と祈願したところ、見事に一矢でこれを射落とすことができました。
また、さらに進んで五十余艘の軍勢で那覇港を出港したところ、海中の波間に梵鐘が浮き沈みしながら漂い、軍船の側を離れなかったという。
尚徳王は、「これは八幡大菩薩の賜りたる霊鐘なり。これがわが手に入れば戦勝まちがいなし。帰国後は八幡宮を崇め奉る。」と誓い、船に載せ戦いに臨んだところ、果たして鬼界が島を平定し凱旋することができました。尚徳王は、この八幡大菩薩のお加護に感謝し、誓願に従い、矢を立てた地に安里八幡宮を建立し、さらに近くに高明山神徳寺を併設して梵鐘を掛けさせたのが安里八幡宮の始まりであります。』(沖縄神社庁HPより)

さきにも書きましたが、ご祭神は熊野権現ではなく応神天皇(おうじんてんのう)・玉依姫命(たまよりひめ)・神功皇后(じんぐうこうごう)です。

この神社も沖縄戦で焼失してしまいましたが、1972年の施政権返還後、安里八幡宮復興期成会により平成5年に社殿の復元がなされました。

現在は新都心に隣接する土地柄、住宅や高層ビルの中、ひっそりと佇んでいます。

琉球八社 安里八幡宮

そのようなわけで駐車場もありませんので、ご参拝の際は近隣の駐車場に車を止めてから徒歩で参拝することをお勧めします。

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琉球八社 末吉宮

県道82号線沿いから末吉公園の駐車場に車を止めます。
駐車場から末吉宮への案内表示は特に無く高台の朱色の建物がおそらく末吉宮だろうと推測しそちらの方向へと歩を進めていきました。

安謝川をわたり少しずつ高度を稼いでいくと私にも認識できる石畳道に出ます。

琉球八社 末吉宮 石畳道

その道を琉球国王の気分に浸りながら登りつめると今日の目的地、末吉宮に到着です。

琉球八社めぐりをしながら、ご朱印を授かろうと思い立ったのですが、那覇のお宮は宮司さんが常駐しているところが少なく、そのために「波の上宮」でご朱印を代わって授けていただけます。
この末吉宮もそのひとつだったので、私も先に波の上宮でご朱印をいただき参拝が後回しになっていました。

琉球八社 末吉宮 ご朱印

念願の末吉宮の社殿に着くと、そこには京都の清水寺を想起させるような造りで趣のあるお社でした。

琉球八社 末吉宮

社殿前の石段の下には琉球石灰岩の石造りのアーチ門もあり、琉球感満点です。

琉球八社 末吉宮

ご祭神は熊野三所権現(イザナミノミコト・ハヤタマオノミコト・コトサカオノミコト)だそうです。
無事参拝を終え帰路、末社の「荒神」にも参拝しましたが、この一帯は一大聖地を形成しているようで、次回はもう少し細かく見て歩きたいと思いました。

琉球八社 末吉宮 荒神

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首里城城壁ぐるっと巡り散策

いつもは守礼門から歓会門を経て首里城内に入るのだけでしたので、今回は古式行列を見た後、城壁に沿ってぐるっと首里城を巡ってみました。

まずは久慶門(きゅうけいもん)・・・別名「ほこり御門(うじょう)」ともいい、歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用したといわれています。

首里城 久慶門

久慶門から道端に置かれたシーサーを眺めながら東側を回り込み

城壁ぐるっとコース シーサー

普段はあまり行くことない裏手に回ると継世門(けいせいもん)・・・別名「すえつぎ御門(うじょう)」といい外郭の門で、いわば裏門です。

首里城 継世門

泡盛の酒造所・瑞泉酒造を過ぎてしばらく歩くと「雨乞御嶽あまごいうたき)」に着きます。

その入り口には、もともとは御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)の南側の岩陰にあったようですが、戦争で破壊された御茶屋御殿石像獅子が鎮座しています。
現在あるものは1979年頃に戦前の写真をもとに復元されたものだそうです。

御茶屋御殿石造獅子

雨乞御嶽は首里台地の東端部の丘にある御嶽で、かつて、大干ばつの時に国王がみずからこの御嶽で雨乞いの祈願をしたことから雨乞御嶽と呼ばれているそうです。

雨乞御嶽

首里の町は小高い場所にあり、あちらこちらが坂になっていて、石段が続いていました。

首里の坂道

そんな道をさらに城壁を回る込むように進むと「崎山樋川さきやまひーじゃー)」にでます。
歴史書「琉球国由来記」には、縁起のよい方角が巳の方(ミーヌファ:南南東)にあたる年の元旦には、国王へ献上する若水(元旦に初めて汲む水)がここから汲まれたことが記されています。

崎山樋川

今回は思いつきでふらっとしてみましたが、これを機会に次回からはもう少しじっくりと歴史探訪をしてみたいと思いました。

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玉陵(たまうどぅん)

せっかく首里城まで来たので、お隣の「玉陵たまうどぅん)」へも立ち寄りました。

玉陵 たまうどぅん

玉陵琉球王朝第二尚氏陵墓です。

玉陵 たまうどぅん

墓室は三つに分かれていて

玉陵 たまうどぅん

沖縄では以前、遺体を埋葬あるいは納棺したのち、一定年月を経て取出し、遺骨を洗い清めて骨壺に納める葬礼が行われていました。
普通3~7年後には棺を取出して洗骨しますが、それを行うのは女性と決められ、海水、湯水、酒などで洗い清め、足骨から順次骨壺に入れて、最後に頭蓋骨を納めたようです。

玉陵 たまうどぅん 中室

正面の中室はその洗骨前の遺骸を安置する部屋

玉陵 たまうどぅん 東室

そして向かって左側の東室は洗骨後の王と王妃

玉陵 たまうどぅん 西室

右側の西室には限られた家族が葬られています。

玉陵 たまうどぅん

玉陵 たまうどぅん 獅子石像

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