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博多祇園山笠2018 五番山笠・大黒流 舁き山 吾在倶 われともにあり

流の区域が昔からほとんど変わらず、博多川河口東岸一帯で、古いしきたりが色濃く残っている伝統ある流です。
たとえば、11日早朝に行われる「朝山」では町総代全員が昔ながらの麻の帷子(かたびら)にわらじ履きで参加したり、追い山の櫛田入りでは今でも舁き手が担う棒の位置を争う「棒競り」など伝統・格式を重んじています。
また博多松囃子(どんたく)の「大黒流」とも区域がほぼ同じで、博多山笠と博多松囃子の両方に参加する住民も多いそうです。

さて今年の舁き山の標題は「吾在倶われともにあり)」
昨年7月に発生した「北部九州豪雨」で甚大な水害に見舞われた朝倉の復興への祈りを込め、秋月藩にゆかりのある地から、今私達にできる思いを人形を通じて、被害にあわれた方々へ前に進む原動力となってほしいという想いが込められているそうです。
制作人形師は西山陽一氏です。



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博多祇園山笠2018・五番山笠・大黒流
博多祇園山笠2018・五番山笠・大黒流 by (C)まさ@沖縄・九州

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博多祇園山笠2018 四番山笠・土居流 舁き山 歌舞伎十八番 暫 かぶきじゅうはちばん しばらく

四番山笠は土居流です。

博多祇園山笠を奉納する櫛田神社前の道路・土居通りの両側の旧町名で構成される流です。
一時は博多地区町界町名整理事業で昔ながらの旧町名が消えたことから「解散」が決められましたが、山笠を愛する若手が中心となり「土居流保存会」が結成され3年後には「流」として復活しました。

今年の標題は「歌舞伎十八番 かぶきじゅうはちばん しばらく)」で制作人形師は田中 勇氏です。
私として今年の舁き山の中でお気に入りの山笠でした。

歌舞伎十八番のひとつで初代市川團十郎が元禄10年(1697)正月江戸中村座で演じたのが初演といわれています。
江戸中期から幕末までの一世紀あまり「」は顔見世狂言の序幕の中で年々趣向を変えて上演されたそうです。
ウケと呼ばれる悪公卿に命じられ腹を出した赤っ面の家来たちが善人方の男女を斬ろうとするところへ「しばらく」と声をかけて主人公鎌倉権五郎景政が登場し、権五郎は弁舌と武勇をもって悪人を懲らしめ善人方を救うという筋書きの勧善懲悪のお話です。



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博多祇園山笠2018・四番山笠・土居流
博多祇園山笠2018・四番山笠・土居流 by (C)まさ@沖縄・九州

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博多祇園山笠2018 三番山笠・恵比須流 舁き山 山呼萬歳声 やまはよぶばんせいのこえ

三番山笠恵比須流
恵比須流は元々は「石堂流」呼ばれていた伝統ある流の一つです。
諸説ありますが、博多のもう一つの伝統行事である「博多松囃子」で夫婦恵比須神に奉仕することから「恵比須流」と称するようになったようです。

今年の舁き山の標題は「山呼萬歳声やまはよぶばんせいのこえ)」。
制作人形師は亀田 均氏です。

前漢の武帝が嵩山に登り、国家の鎮護を祈ると、臣民一同が天子祝して歓喜の声をあげました。
その声は全山にこだまして、「万歳」ときこえた、という故事があります。
戦国時代、島津氏によって焼かれ廃墟となった博多の復興のため、豊臣秀吉は太閤町割を行いました。
そして復興した博多の町は再び繁栄を取り戻しました。
町人たちは大いに拍手喝采し、歓喜の万歳の声が周囲に響いたことでしょう。



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博多祇園山笠2018・三番山笠・恵比須流
博多祇園山笠2018・三番山笠・恵比須流 by (C)まさ@沖縄・九州

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博多祇園山笠2018 二番山笠・千代流 舁き山

二番山笠千代流舁き山の標題は「藤花庸功千代芳とうかようこうちよにかんばし)」
制作人形師は川﨑修一氏です。

黒田家の菩提寺であった「崇福寺」を流域内に抱える千代流に相応しい題材です。
戦国の世に生まれた軍師官兵衛、そして愛する光姫の間にもうけた嫡子松寿丸(後の長政)。
子は信長の人質となり、父は土牢に幽閉される最大の危機を脱し、戦国の世に毅然として未来を目指す。
その土牢の外に咲いていたのが藤の花でした。
およそその命を保つことも難しい環境の牢の中で、窓から見える藤の花を眺めて、「藤よ、藤よ花をつけよ」と願い、その藤の花の命に、我が身の儚くも保ち続けている生命力と重ね合わせていたのでしょう。
そして二人が迎えた二つの関ヶ原とは、長政は本元の「関ケ原」
父・官兵衛は九州の関ケ原といわれる石垣原の戦いで勝利を収め「九州平定」を成し遂げるのです。



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博多祇園山笠2018・二番山笠・千代流
博多祇園山笠2018・二番山笠・千代流 by (C)まさ@沖縄・九州

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博多祇園山笠2018 二番山笠・千代流 飾り山

昭和25年(1950年)に大津流が千代流と改めて誕生した比較的新しい「流」ですが、舁き手の数も多い大所帯の流です。
千代流は舁き山ばかりでなく、飾り山、子供山笠も持つ流で、流の区域は千代校区と重なっており、各町の子供会も情操教育の一環として積極的に山笠に参加しています。
ということで、今エントリーはまずは飾り山を・・・

飾り山は、毎年再開発ビル「パピヨン24」前に建っています。

表の標題は「鎮西三雄博多護ちんぜいのさんゆうはかたをまもる)」です。
制作人形師は川﨑修一氏。

戦国末期、傳多を守護した大友の将、高橋紹運と立花道雪。
そして二人の父を持つ立花宗茂。
高橋紹運ひきいる岩屋城兵700に大島津軍4万が攻めて来ました。
岩屋城が降ると次は立花宗茂の立花城が。博多の危機で勇者達の義の戦いが始まります。

博多祇園山笠 二番山笠 千代流 飾り山 鎮西三雄博多護 ちんぜいのさんゆうはかたをまもる

私は高橋紹運と聞くと大宰府から四王寺山に登る途中の岩屋城跡が目に浮かびます。
博多祇園山笠はその祭りを通して改めて博多、福岡の歴史に触れられることも楽しみの一つだと思います。

博多祇園山笠 二番山笠 千代流 飾り山 鎮西三雄博多護 ちんぜいのさんゆうはかたをまもる

見送りの標題は「維新回天石堂橋いしんかいてんいしどうばし)」
制作人形師は表同様、川﨑修一氏。
馬関戦争(下関戦争)の後、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四カ国との講和にあたった長州藩の高杉晋作は、藩内のその攘夷派と幕府からも狙われることになってしまいました。
そこで福岡藩の勤皇志士の勧めもあり、福岡に潜伏して、討幕活動を続けることになりました。
しかし福岡博多に入るには、石堂橋に関所があり、通過する為、策が必要でした。
当時石堂橋からこの飾り山のあるあたりには水茶屋が建ち並んでおり、そこで遊んだ商家の若旦那を装い、半纏を着て舞妓を肩に乗せ、舞妓の袖で顔を隠して関所を通過したそうです。
その物語を維新150年という節目にということもあり描いています。

博多祇園山笠 二番山笠 千代流 飾り山 維新回天石堂橋 いしんかいてんいしどうばし 高杉晋作

ちなみに「石堂橋」は「お汐井とり」の出発点でもあります。

博多祇園山笠 二番山笠 千代流 飾り山 維新回天石堂橋 いしんかいてんいしどうばし 高杉晋作

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