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西国一の修験道の霊山へ

九州西国三十三観音霊場の第一番札所への参拝のため「英彦山」に行ってきました。
札所の詳細はまた後日エントリーするとして、とりあえず概要を書いておきたいと思います。

「英彦山」は出羽の羽黒山、熊野の大峰山と並び日本三大修験道の霊場として、広く九州全域の人々の信仰を集めていました。

まずは高さ約7mの青銅製の大鳥居(国指定重要文化財)がそびえたつすぐ傍の駐車場に車を停めて、第一番札所の「霊泉寺」へお参りします。
この大鳥居は佐賀藩主鍋島勝茂公の寄進によるもので、霊元法皇の「英彦山」の立派な勅額が掲げられています。

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本来ならばここより参道を登り、英彦山神宮の奉幣殿に参拝し、登山道を下宮、中宮、上宮と辿るところではありますが、その登拝は後日頑張ることにして、今回はとりあえず奉幣殿まで頑張って上がることにしました。

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さすが江戸時代の最盛期には、俗に「彦山三千八百坊」といわれ、3,000人の衆徒と坊舎が800を数えたと言われたらしく、参道の石畳の階段脇は「坊」が軒並み建っていました。

その中の一つ「財蔵坊」 (県指定有形民俗文化財)は山伏が生活した、規模としては中位な坊舎ですが、当時のままの姿を残した唯一のものだそうです。

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現在は町立英彦山歴史民俗資料館となっているのですが、この季節は休館となっていました。
他の展示施設などもお休みしている時期で訪れる観光客も疎らな感じです。

参道のほぼ中間地点まで来て少し脇にそれると「旧亀石坊庭園」(国指定名勝)があります。
画聖雪舟が、3年間この山に留まって築いたと伝えられる日本庭園で、山林を背景にした配石、水のたたずまいが趣深く感じられます。
その場所は私有地で所有者の方のご厚意で公開されて(無料)います。感謝!!

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さて頑張って登り続け石の鳥居を過ぎると奉幣殿はもうすぐです。
英彦山神宮奉幣殿(国指定重要文化財)は、かつての英彦山霊仙寺大講堂で、英彦山修験道の中心的建造物だったそうです。
現在の建物は元和2年(1616)に当時の小倉藩主細川忠興公によって建立寄進されたもので、朱塗りの柱やこけら葺きの大屋根が常緑の杉の緑に映え、深山の雰囲気に絶妙にとけ込んでいます。

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その大屋根の全容を拝もうともう少し上の下宮まで上がり拝見しました。

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その下宮の脇にはいつの雪かはわかりませんが解けずに残っていました。

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帰りは少し「膝が笑う」のを感じながら石段・石畳でコケないように下ってきました。
その後もう一つの英彦山のシンボル的存在の神社「高住神社」に参詣しました。

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江戸時代までは豊前坊と呼ばれ、本殿は岩の中にのめり込むように建立されていてとても神秘的な雰囲気が漂う神社でした。
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テーマ: 神社めぐり - ジャンル: 旅行

タグ: 福岡県  添田町  英彦山  修験道  霊泉寺  英彦山神宮奉幣殿  豊前坊  高住神社  ご朱印 

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