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覚鑁聖人(興教大師)誕生の地(第六十二番 誕生院)

参拝日 2011.2.5

『概略』

密厳山 誕生院

佐賀県鹿島市納富分2011(地図

御本尊 錐鑽身代不動明王坐像
ご真言 のうまく さんまんだ ばだらだん せんだ まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん

覚鑁聖人は当時荒廃していた高野山を復興されたため真言宗中興の祖といわれ、また高野山内で新たな教義を打ち立て、僧侶の堕落停滞による真言宗没落の危機から宗派建て直しの緊急策を敢行。しかし現状維持を望む保守派と覚鑁派による決定的な対立が発生しました。その結果、高野山保守派との対立から混乱を避け、高野山を出て根来寺を創建され教義を発展させ新義真言宗の開祖となりました。そして江戸時代初期生前の功績を評価され東山天皇より「興教大師」の称号を追贈されました。

その覚鑁聖人誕生の聖地に建立されたのがこの「誕生院」です。

室町時代、足利義満が発願し定成上人によって創建された誕生院、戦国時代からの幾多の戦火により廃滅してしまいました。以来多くの人々が復興に努力されましたが荒廃したまま「誕生院」の地名と「覚鑁屋敷」の名称のみが伝えられてきましたが、大正時代になって鍋島直淋公によって再興されました。

参道正面には大阪観心寺金堂の折衷様式の手法を取り入れた入母屋造の壮大な金堂が建っています。
また右手には入母屋造に唐破風の向拝がついた講堂があります。
こちらにご本尊の「錐鑽身代不動尊」がお祀りされています。

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このお不動様、覚鑁聖人が高野山にて暴徒に襲われたとき、不動三昧に入っておられたため、暴徒には二体の不動尊が坐しているように見えました。そこでいずれが聖人か確かめるため一方の膝を錐でもむと不動尊が木像でありながら聖人の身代わりになって人間の生血を流されたと伝わるお不動様です。
もともとは高野山にお祀りされていましたが、その後根来寺に移され、誕生院再建のおりお迎えしたそうです。
以来、身代わり災難除の不動尊として篤く信仰を集めています。

また「誕生」ということから安産祈願や誕生祈願はもとより、会社等の開業や新車の交通安全などの新たな門出を祝い、未来を祈願するお寺として参拝の方がたえません。

そして第六十一番札所の「高野寺」とともに肥前西海七福神めぐりの寺社となっていて、こちらでは家庭円満・千客万来・商売繁盛・福徳をもたらす「布袋尊」が祀られています。

桜・藤・つつじ・しゃくなげ・もくせいなど四季折々の花木で満ちた5200坪にも及ぶ境内には伽藍の他、覚鑁聖人ゆかりの遺跡も多く、誕生の折に使用したと伝わる産湯井戸や聖人の臍の緒を埋めたとされる包衣塚などもあります。

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回向文

願わくは この功徳をもって あまねく 一切に及ぼし われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを

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ご詠歌

根来なる いほぶの山に 澄む月の
     光は長く 世々を照らさん

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