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蟋蟀戸在(きりぎりすとにあり)

七十二候蟋蟀在戸きりぎりすとにあり)になりました。ここにある「蟋蟀」とは、「ギーッ、チョン」と機織り機のように鳴くキリギリスではなく、「リッリッリッリッリッ・・・」と鳴く「ツヅレサセコオロギ」のことを指すようです。
同じコオロギでも「リーリー」となくエンマコオロギでもありません。

キリギリス

そのツヅレサセコオロギが寒さをしのぐため戸口のそばまでやってきて鳴く頃という意味です。その声は細く哀愁を帯びた声で鳴くのです。

蟋蟀戸在 きりぎりすとにあり ツヅレサセコオロギ

蟋蟀戸在」は中国最古の詩篇である「詩経」で農民がその暮らしを詠った「七月は野に在り、八月は軒下に在り、九月は戸に在り、十月は我が床の下に入る」に由来したものです。
その後有名な詩人の杜甫や白居易の漢詩にも夜寒をさけて暖を求めて蟋蟀が家や寝床に近づくことが詠まれています。

昔、貧しい農民や庶民たちにはその鳴き声は「肩刺せ、袖刺せ、綴れ刺せ」と聞こえたいたようです。
昔と言っても江戸時代から昭和の中頃までの農民や庶民たちは破れをつぎ、はぎ合わせた今でいうとボロボロの着物を大切に着ていました。
今では「昭和も遠くなりにけり」なんて言葉も聞こえてきますが、戦前、終戦直後までは子供たちは破れたところにつぎあてをしてもらった服で走り回っていました。

寒さが増してくる前に囲炉裏端で秋の夜長僅かな光の中で衣類のほころびをつぎはぎして冬に備えている貧しい中にも不思議と温かみさえ感じられる母親の姿が眼に浮かぶようです。
そんな昔の農民や庶民たちが貧しい中でもこのツヅレサセコオロギの鳴き声を冬支度への促しの声として聴いていたその精神性の豊かさには感服するばかりです。

秋草が小さな花をつけ、そしてそれぞれが実や穂をつけ、懸命に次の世代へとその命をつなぎ、自らは枯れていく姿は私たち日本人の琴線に深く響き「もののあはれ」を感じさせてくれます。

秋の虫たちがコーラスを奏でるピークは過ぎましたが、秋の冷え込みとともにその寒さに凍えながら弱々しく鳴く虫の声はどことなく切なく心に沁み入ってくるものです。
しかしツヅレサセコオロギの声は秋の終わりを告げるとともに冬の足跡でもあるのです。

季節の味わいはそんな終わりゆく「名残り」とともに季節の移ろいの僅かな「兆し」の中にあるように思います。

日々多忙と喧騒の中に生きている現代人の私たちにとって、そんな繊細な感覚を忘れてはいけない情緒ではないでしょうか。
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タグ: 歳時記  七十二候  蟋蟀戸在  きりぎりすとにあり  ツヅレサセコオロギ 

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